感覚原価が利益を静かに食いつぶす仕組み
「今月もきっちり黒字で納品できました」
現場のリーダーから完了報告を受け、社長は安堵の息をもらす。 請求書に記載された金額は、きりのいい「100万円」。 事前の見積もりでは、材料費や外注費を引いて「40万円」が残る計算だった。
「よし、今月も手堅く利益を残せたな」
……だが、このとき社長はまだ気づいていない。 画面の中の見積書では「40万円残る」ように見えているその仕事が、現場の裏側で、会社の利益を静かに食いつぶす「出血案件」へと変わっていたことに。
1つの案件が「赤字寸前」に転落するまでの20日間
時計の針を、受注の瞬間に巻き戻してみよう。
【1日目:見積もりの瞬間】
社長の頭にあったのは、過去の経験則からくる「ざっくりとした感覚」だった。 「この規模なら、外注費と材料でだいたい60万円あれば足りるだろう」
売上は100万円。材料費・外注費が60万円なら、残りは40万円。悪くない仕事に見えた。 これまでの記事でお話ししてきた言葉を使うなら、「会社に残す力(限界利益)」として40万円を見込んでいたということだ。
この40万円から、社員の給与や家賃などの固定費をまかない、その先に会社の利益が残る。 だから、この「40万円」が予定どおり残るかどうかは、とても重要だった。
【8日目:小さな「ついで作業」】
納品までの中盤、発注元の担当者から電話が入る。 「すみません、ここの仕様、やっぱり少しだけ変更できませんか? すぐできる範囲でいいので」
現場は波風を立てたくない。「これくらいならサービスでやっておきますよ」と笑顔で引き受ける。 追加の見積もりも、費用の請求もしない。
一つひとつは小さな変更だった。だが、材料を追加する。作業をやり直す。確認の電話をする。工程を組み直す。 こうした「少しだけ」が積み重なると、見積もりにはなかったお金と時間が動き始める。
【14日目:想定外の手戻りと買い足し】
変更した仕様の影響で、別のパーツにも修正が必要になった。 慌てた現場は、特急料金を払って追加の資材を買い足し、外部の職人にも急きょ応援を依頼した。
「まあ、100万円の仕事なんだから、数万円の予期せぬ出費くらいは飲み込めるはずだ」
誰も社長には報告しない。 数万円。また数万円。一つひとつを見ると、それほど大きな金額には見えない。 しかし、見積もり時には存在しなかった支出が、少しずつ案件の採算を削っていく。
【20日目:深夜の納品】
度重なる仕様変更と手戻りで、当初30時間で終わるはずだった作業は、気づけば80時間を超えていた。 さらに納期に間に合わせるため、残業や応援人員も発生した。
それでも現場は、なんとか納期どおりに仕事を終わらせた。 顧客からは「急な変更にも柔軟に対応してくれて助かりました」と感謝された。 現場にも「大変だったけれど、なんとかやり切った」という達成感が残った。
一見すると、無事に終わった案件だ。 では、数字のカルテを開いてみよう。
カルテの開示:消えた35万円はどこへ行ったのか
請求書は無事に発行され、売上台帳には「100万円」が計上された。 では、この仕事が実際に「会社に残した力」はいくらだったのか。
事後の数字を整理してみよう。
| 項目 | 金額 |
|---|---|
| 売上(受注額) | 100万円 |
| 材料費・外注費(当初分の実績) | ▲60万円 |
| 追加の資材・臨時外注 | ▲15万円 |
| 実際に増えた残業代・応援人員等 | ▲20万円 |
| 実際に会社に残った力 | 5万円 |

見積もりでは40万円残るはずだった。 ところが、実際に残ったのはわずか5万円。
予定40万円 → 実績5万円。 35万円が消えている。
しかも、この5万円がそのまま会社の最終利益になるわけではない。 ここからさらに、家賃や通常の人件費、システム費、保険料など、会社を維持するための固定費をまかない、その先に会社の利益が残る。
つまり、この案件は売上100万円を作り、現場も忙しく働いたにもかかわらず、会社全体の利益にはほとんど貢献できていない可能性があるのだ。
では、消えた35万円はどこへ行ったのか。 顧客から大幅な値引きを要求されたわけではない。売上が突然減ったわけでもない。
自社の中で発生した、 「これくらいならサービスで」 「少しくらいなら大丈夫」 「たぶんこの金額で収まるだろう」 という小さな判断の積み重ねによって消えていった。
これが、感覚原価の怖さだ。
もう一つ見逃してはいけない「50時間」
ただし、この案件で問題なのは、消えた35万円だけではない。 もう一つ、数字に表れにくい大きな変化がある。
作業時間だ。
当初の予定は30時間。実績は80時間。 予定より50時間も多く、この案件に人の時間を使っている。
ここで注意したい。 この50時間すべてを、そのまま「追加原価50時間分」として限界利益から差し引けばいいわけではない。 たとえば月給制の社員が通常勤務の範囲内で作業したのであれば、案件に50時間多く使ったからといって、その分だけ給与の支払額が増えるとは限らないからだ。
一方、残業代が増えた、追加の応援人員を入れた、別の外注先へ仕事を出した、といったように、「この案件を受けたことで実際に増えた支出」があれば、それは案件採算を見るうえで無視できない。
そして、仮に直接の支出が増えていなかったとしても、50時間という時間そのものが消えるわけではない。 本来なら、別の案件を進められたかもしれない。新しい顧客に営業できたかもしれない。次の仕事の準備ができたかもしれない。
つまり、原価を見るときには、 「実際にいくらお金が増えたか」 と、 「予定よりどれだけ時間を使ったか」 を分けて見る必要がある。お金と時間。両方を追いかけて初めて、その仕事の本当の姿が見えてくる。

なお、ここで見ているのは、案件を受けたことで実際に増えた支出を差し引く「限界利益」の考え方だ。
一方、案件ごとの総原価を把握したい場合は、月給制社員の人件費についても、作業時間などを基準に各案件へ配賦する方法がある。
つまり、 この案件によって追加でいくら残ったかを見るのか。 それとも、 通常の人件費まで含めて、この案件の総原価を把握するのか。
目的によって見る数字は変わる。 大切なのは、どちらか一方だけを正解にすることではなく、「何を判断するための原価計算なのか」を明確にすることだ。
案件ごとの「お金と時間」を見失う病
なぜ、こんなすれ違いが起きるのか。
多くの会社において、「原価」という言葉は驚くほど曖昧に扱われている。 仕入れ伝票や外注先からの請求書など、最初から分かっていた「目に見える数字」だけを見て、
- 途中で発生した追加材料
- 追加外注
- 特急料金
- 残業代
- 応援人員
- そして、予定を大幅に超えた作業時間
こうしたものが、案件ごとに整理されないまま終わってしまう。
すると現場は「無事に納品できた」、営業は「100万円売り上げた」、経営者は「会社に40万円残る案件だった」と思っている。 しかし、現実には5万円しか残っていない。
同じ案件を見ているはずなのに、会社の中で見えている数字が違う。 これが問題なのだ。
どんぶり勘定の本当の怖さ
「どんぶり勘定」と聞くと、計算が雑、帳簿をきちんと付けていない、原価計算ができていない、そんな会社を想像するかもしれない。
しかし、本当に怖いのはそこではない。 会計帳簿がきれいでも、月次試算表が毎月完成していても、どんぶり原価は起こる。
なぜなら、どんぶり勘定の本質は、 「その仕事を1件こなすために、本当はいくらのお金と時間が動いたのか」という事実を、誰も追跡していないことだからだ。
現場は「顧客のために」と善意で汗を流す。 営業は「お客様に喜んでもらえた」と安心する。 経営者は「40万円残る案件だった」と思っている。
誰も悪いことをしていない。 それでも、会社だけが静かに痩せていく。 だからこそ怖いのだ。
その原価は「事実」か、それとも「願望」か
どんぶり勘定をやめるために、いきなり大がかりな原価管理システムを導入する必要はない。 まず始めたいのは、もっと単純なことだ。
「終わった仕事の答え合わせ」をする。
見積もりの段階で、 * 売上はいくらを予定していたか * 材料費はいくらを予定していたか * 外注費はいくらを予定していたか * 会社にいくら残る予定だったか * 作業時間は何時間を予定していたか を書いておく。
そして案件が終わったら、 * 実際の売上はいくらだったか * 材料費はいくらかかったか * 外注費はいくらかかったか * 追加で発生した支出はいくらだったか * 実際に会社にいくら残ったか * 実際の作業時間は何時間だったか を並べる。
難しい分析は、そのあとでいい。 まずは、予定と実績を横に並べる。
それだけでも、 「材料費が予定より10万円多い」 「外注費は予定どおりだった」 「毎回、追加作業を無料で受けている」 「この種類の仕事だけ、予定時間を大幅に超えている」 といった自社の癖が見えてくる。
40万円が5万円になった「理由」を探す
ここで重要なのは、「今回は利益が少なかった」で終わらせないことだ。 見るべきなのは、「なぜ40万円が5万円になったのか」という差額の理由だ。
- 「見積もり時点で材料費を甘く見ていた」のであれば、次回から見積もり方法を変える。
- 「顧客からの仕様変更を無料で受けていた」のであれば、追加変更のルールを作る。
- 「特定の工程で毎回手戻りが発生している」のであれば、作業工程を見直す。
- 「いつも予定時間を超えている」のであれば、見積もり時間そのものが間違っている可能性がある。
つまり、原価の答え合わせは、犯人探しをするためではない。 次の案件で同じ出血を起こさないためにするのだ。 予定と実績のズレには、会社を改善するためのヒントが詰まっている。

見積もりは「利益を守るための防衛線」
見積もりとは、単なる価格の提示ではない。 「この仕事をこの金額で受けたとき、会社にどれだけ残るのか」を事前に考えるためのものでもある。
100万円で売れるから受注する、ではなく、 100万円で受けたら、何万円会社に残るのか。 そして、 その予定どおり、本当に残ったのか。 ここまで確認する。
見積もりと実績がつながれば、価格設定の精度も少しずつ上がっていく。 逆に、この答え合わせをしないまま「前回100万円だったから今回も100万円」と値段を決め続ければ、前回の間違った原価を次の見積もりにも引き継ぐことになる。
感覚原価は、ひとつの案件だけを赤字にするのではない。 放置すると、間違った価格そのものを会社の標準にしてしまう。 そこが一番怖いところなのだ。
納品したら、一度だけ振り返ってみる
納品を終えた安堵感のなかで、一度立ち止まって考えてみてほしい。
あなたが信じているその原価は、 冷静に積み上げられた「事実の原価」だろうか。 それとも、 「これくらいで収まってほしい」 「前回もこれくらいだった」 「たぶん大丈夫だろう」 という「願望の原価」だろうか。
まず、最近終わった案件をひとつだけ選んでみる。 そして、 見積もり時に残る予定だった金額と、実際に残った金額を並べてみる。 さらに、 予定していた作業時間と、実際に使った作業時間も並べてみる。
もしそこに大きな差があれば、それは単なる「誤差」ではないかもしれない。 会社の利益が漏れている場所を教えてくれる、ひとつの症状だ。
感覚で商売を続けるか。 数字で会社を守るか。
その第一歩は、「予定と実績を比べること」から始まる。
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案件採算と原価のズレを一緒に整理する
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